元マツダ期間工のさとやん7が期間工と出会うまで

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

こんにちは。

六本木ヒルズにニッカポッカで泊まった事があるさとやん7です。

お土産には横綱ラーメンの詰め合わせを持っていきました。

もし人生をやり直せるとしたらその瞬間に戻りたいですねw

 

 

さて、そんな自分が期間工という生き方に出会ったのは30代の終わり。

まあ、期間工としてはかなり遅咲きですよね。

要はそれだけ人生の回り道をしてきたわけです。

せめて30代前半で期間工と出会ってれば・・。

そうすればもう少しマシな人生があったかも知れませんよねw

今回はそんな自分の人生を少し振り返ってみたいと思います。

 

ちなみに今回の記事の要点はこんな感じ。

 

・ろくでもない職務経歴

・正社員で働いたのは2年だけ

・路頭に迷ってた時に運命の出会い

・もしかしたらネオヒルズ族への道があったかも知れない

・実家の借金問題で10年を無駄に・・

・オリコカードの審査は未だに通らない

・30代後半で人生をやり直すのは難しい

・デンソーの面接は大失敗

・マツダ期間工との出会いはおじさまブログ

・人生のターニングポイントはマツダ期間工

 

 

なお目次は下記のような感じです。

目次に戻りたい時は右下の矢印ボタンを押せばOK

←こんな感じのボタン

 

では、早速いってみましょう。

 

さとやん7の履歴書

期間工と出会うまで

過去の職務経歴

冒頭でも書いたように自分が期間工という働き方を知ったのは38歳の時。

それまで製造業の経験すらもほぼありませんでしたね。

せいぜい日雇いで検品作業に数回行った程度。

工場勤務というものに対してあまり良い印象は持ってませんでした。

そして過去に経験した仕事の大半は肉体労働系。

植木屋、荷揚げ屋、引越し、BAR、王将、ファミレスなどなど・・。

ほとんどアルバイトですけどね。

車の運転は色々と苦い思い出があるのでやってません。

後は変り種で言えばアフィリエイトやパチプロ。

正社員に就かなかった理由

期間工の面接で必ず突っ込まれるのが正社員としての職歴の少なさ。

実際に42年の人生の中で正社員として働いたのは2年だけです。

ではなぜ正社員として働かなかったのか?

それは実家の借金問題ですね。

特に嫌だったのが母親が自分名義で勝手にカードを作ってたこと。

これが原因か知りませんがオリコは未だに審査に落ちます。

後は消費者金融の規制が今ほど厳しくなかった時代ですからね。

会社に脅迫紛いの追い込みの電話もバンバン掛かってきましたわ。

そういうのが嫌でそれ以後は正社員で働くのは止めました。

絶頂から転落

羽振りが良かったのは20代後半から30代前半あたり。

ちょうど正社員の仕事を辞めて路頭に迷ってた頃ですね。

当時はアフィリエイトの黎明期でした。

今みたいにサイトが飽和状態じゃなかったので簡単に稼げましたわ。

一番良い時で月収が150万円を超えた時もありましたからね。

ちなみにアフィリエイトの道に誘ってくれたのは元ネオヒルズ族のあの人。

だから彼がネット上で詐欺師呼ばわりされてるのを見ると胸が痛みますね。

少なくても自分にとっては大恩人。

ただ、実家の問題で色々とあってお金はほとんど残りませんでした。

当時の仲間はその後に2人もヒルズ族になってるだけに非常に悔やまれます。

ちなみに東京へは恵比寿時代もヒルズ時代も遊びに行きましたが、

あまりにも見てる世界が違い過ぎて段々と距離を置くようになってしまいましたね。

ようやく実家の借金問題が解決

30代の前半は少し世捨て人のような生活もw

博多とか名古屋とか横浜を転々としてましたね。

何とかの道のブロガーみたいにネットカフェで長期間寝泊りしてたこともあります。

そして地元に戻ってからはパチプロ生活も経験しました。

当時は滋賀県がかなり美味しくてハイエナだけでなかなか稼げましたわ。

しかしそんな時に交通事故、出入り禁止、祖母の死など不幸が重なって廃業。

ただ、おかげさまで実家の借金問題は全て片付いたんです。

一時期は3500万円の公正証書を突き付けられたり、

実家を失う寸前の危機にまで陥ったこともありましたが、

意味不明な借金の原因も全て分かったので解決が出来ました。

結局、10年ほどの時間を無駄にしてしまいましたね。

そして人生をやり直そうにも今さら正社員の働き口が見つかるはずもありません。

だから収入はフルキャストやワーカーズプロで日雇いをして確保しましたわ。

もちろんそれだけでは生活が成り立ちませんよね。

実家は貧乏なので頼るどころかこっちが援助しないといけない状態。

だから日雇いで知り合った会社に拾ってもらったり、

直で仕事を貰ったりして何とか食い繋いでましたわ。

倉庫作業をクビ

期間工を始める1年くらい前からは絨毯会社の倉庫で働いてました。

前述の日雇いでお世話になった会社に拾ってもらった形ですね。

ここの仕事内容は自分の適性にピッタリで人間関係も普通。

それに何と言っても60歳まで雇ってもらえる門戸の広さ。

だからここで60歳まで働くのも有りかなと本気で思ってました。

まあ月収は手取りで15万円くらいと非常に安かったですけどね。

でも居心地が良かったので別にそれでも構いませんでした。

結婚はするつもりが無かったのでその収入でも何とかやっていけます。

しかしそう思ったのも束の間。

実は些細なことで上司と揉めてクビになってしまったんですよ。

別にそこまでキレるような事では無かったんですけどねえ。

でも何故かその日に限ってブチっと切れてしまいました。

そしてそのまま会社を飛び出して、はい、さよなら。

まあ今思えばこれも期間工に導かれる運命だったのかも・・。

アルバイト面接で連戦連敗

当時は仕事なんてすぐに見つかるだろうと軽く考えてました。

正社員はまだしもアルバイトなんて腐るほどありますからね。

しかもフォークリフトの資格があれば倉庫系は強いです。

またワードやエクセルも使えるのでデータ入力系の仕事も可能。

だから給料云々は別として仕事には困らないだろうと考えてました。

でもその後に受けたアルバイト面接でまさかの連戦連敗。

特にフォークリフトの仕事に落ちたのはショックでしたね。

おまけに繋ぎのつもりで応募した土日限定の清掃作業ですらも不採用という有様です。

これには思わず頭を抱えてしまいましたわ・・。

期間工への道

期間工求人との出会い

ついにアルバイト面接は8連敗。

おまけに当時は貯金も底を尽きかけてました。

我が家の両親は共に年金暮らしで実家は貧乏。

だから貯金が無くなってしまうと挽回はかなり難しくなってしまいます。

下手したら近鉄電車に飛び込まなくてはいけなくなるでしょう。

そんな時に見つけたのが期間工の求人ですね。

そして寝る間も惜しんで期間工ブログを読み漁りましたわ。

まあ、今までなら出稼ぎなんて考えもしませんでしたけどね。

というか日雇いに慣れすぎて週5で働ける自信すらもありませんw

でもここまできたらそんな事は言ってられませんからね。

だから思い切って期間工に応募しましたわ。

デンソー期間工に応募

まず最初に自分が選んだのはマツダではなくデンソーでした。

当時はブログの数も非常に少ない時代でしたからね。

それこそまともな情報はデンソー、トヨタ、マツダ、ダイハツの4社くらい。

確かあの当時はまだかげぽんちゃんのブログも無かったような気が・・。

まだまだ勝ち組期間工が猛威を奮ってた時代ですからね。

そして期間工ブログを読んだ印象は以下の感じ。

 

・トヨタ→自分には無理っぽい

 

・ダイハツ→かなりしんどそう

 

・マツダ→日給8000円なんで楽かも?

 

・デンソー→楽そう

 

ほんと、当時はこの程度の印象しか無かったんですよね。

日産とかダイハツとかスズキとかは名前すらも頭に浮かびませんでした。

だからデンソーを選ぶというのはある意味では当然の流れでしょう。

デンソーの選考会

デンソーの選考会はさとやん7のお膝元である滋賀県の大津市。

この日は自分以外にもスーツ姿の30代が2人ほど参加してましたわ。

ちなみに自分はスーツではありません。

金髪、ヒゲ、パーカー、汚れたスニーカーというふざけた見た目ですw

おまけに履歴書や面接の受け答えもメチャクチャ。

過去の職歴もネガティブな答えを連発してましたね。

挙句の果てに高校を出てからの空白期間に関しても

パチプロをやってたと正直に答えてしまいました。

早い話が期間工というものを舐めてたんですよ。

まあ、結果は言うまでもありませんよね。

逆にこれで採用ならデンソーという会社の見識を疑いますわw

マツダ期間工に応募

デンソーからの不採用通知を受け取った翌日。

今度はマツダ期間工に応募することにしました。

ちなみにお世話になった派遣会社はアウトソーシング。

その1週間後には選考会でした。

まあ前述の選択肢から言えば当然の流れですよね。

消去法で言えばトヨタ、ダイハツは消えて残るのはマツダのみ。

ちなみにこの時に参考にしたのがおじさまのブログ。

彼のブログを読んでると何となく楽そうなイメージがありましたからね。

もしその時に読んでたブログがあの悪名高き期間工の道とか、

かげぽんちゃんのブログなら間違いなくマツダには応募してなかったでしょう。

(※確か当時は2つともなかったはず)

そして見事に採用を勝ち取ることが出来ました。

言わばこういうのも縁ですわ・・。

マツダ期間工生活への旅立ち

 

そしていよいよ2016年の3月某日。

母親に見送られながら実家を出て広島に旅立ちました。

さすがにこの時は思わず目頭が熱くなりましたね。

広島行きの新幹線の中でも車窓からの景色を見て何とも言えない複雑な気持ちでした。

なんと言っても地元を出るのは8年振りくらいですから・・。

やはり若い時に地元を離れるのと40を手前にして離れるのとでは全然違います。

特に年老いた両親を残して家を出るだけに尚更ですよ。

おまけに半年だけのつもりが気が付けば2年半。

まあ、ここでようやく点と点が線で繋がった形ですよね。

もしここで違う会社を選んでたり不採用だったら今の自分は無かったでしょう。

あくまでも結果論ですがマツダだからこそ生き残れたんだと思います。

期間工生活のスタートがトヨタや三菱ならすぐに逃げ出して、

そのまま期間工の世界からはフェードアウトしてたでしょう。

そう考えるとおじさまブログには感謝ですね。

 

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。